目次
竹島・尖閣諸島領有権問題の歴史と現状
日本と韓国・中国の間で争われてきた竹島(韓国名:独島)および尖閣諸島(中国名:釣魚島)の領有権問題について、古代から現代まで中立的な立場で解説いたします。
竹島は日本海に位置し、韓国・北朝鮮も領有権を主張する島で、日本と韓国の間で国際紛争となっています。尖閣諸島は東シナ海にある無人の島々で、日本が実効支配していますが、中国(および台湾)が領有権を主張しており、こちらも外交上の緊張要因です。
それでは歴史的背景から順に見ていきましょう。
竹島の歴史的背景と日韓の主張根拠
古代~中世
韓国側は、竹島(独島)が古代から自国領だと主張しています。たとえば1145年編纂の『三国史記』によると、512年に新羅が于山国(現在の鬱陵島一帯)を服属させたと記されており、その属島「于山島」が現在の独島だと解釈しています。
このため韓国は「独島は1500年以上も自国領」と強調します。しかし日本側は、この于山島は鬱陵島付近の別の島で独島とは断定できないと反論しています。
中世以降、朝鮮王朝は鬱陵島を人が住まない「空島」とし実効支配しておらず、独島への具体的な統治記録もないと日本側は指摘します。
17~19世紀
一方、日本では江戸時代までに現在の竹島を認識・利用していました。17世紀初頭から鳥取藩の商人が幕府の許可を得て鬱陵島(当時の竹島)へ渡航し、その途中に現在の竹島(当時は「松島」と呼称)に立ち寄り航海の目印や漁場として利用していた記録があります。
1696年、鬱陵島での日韓の紛争(安龍福事件)が起き、江戸幕府は鬱陵島(当時の竹島)への渡航禁止を決めました。この際、韓国側は「幕府は鬱陵島と付属の松島(独島)も放棄した」と解釈していますが、日本側は「放棄を伝えたのは鬱陵島のみで、松島(竹島)は議題に上っていない」として見解が分かれています。
1877年、日本政府は太政官指令で「竹島外一島」(鬱陵島と当時松島と称した島)を日本領外とする確認を出しましたが、韓国側はこれも独島を指す証拠だと主張し、日本側は独島か不明だと反論しています。
近代(1900年代前半)
韓国側は、自国が近代国家だった大韓帝国期に独島を正式に管轄下に置いたと主張します。1900年に大韓帝国勅令第41号で鬱陵島を鬱島郡と改称し、その管轄範囲に「石島」を含めたと官報に掲載されており、韓国はこの「石島」が独島だとしています。
そして日露戦争中の1905年、日本が竹島を島根県に編入した行為は韓国領土の一方的な侵略・併合で無効であると主張しています。
日本側の見解は異なります。日本政府は1905年1月、竹島を無主地(どの国にも属さない土地)だったため国際法に則り島根県に編入し、領有の意思表示を行ったと説明しています。この際韓国からの抗議はなく、日本は官有地登録や漁業許可など平穏に統治を継続したため、近代国際法上も日本領として確立したのだとしています。
💡 要約: 韓国側は「歴史的に自国領で日本の1905年編入は無効」とし、日本側は「歴史的にも日本が利用しており、1905年に正式編入した際も韓国の実効支配はなかった」と互いに正反対の根拠を掲げています。
第二次大戦後の処理
1945年の日本敗戦後、連合国軍最高司令部(GHQ)は一時的措置として日本の行政権から竹島を除外しました(SCAPIN第677号覚書)。しかしこれは領土最終決定ではなく、講和条約で正式決定されるまでの暫定的管理に過ぎないと後に米国は説明しています。
1951年のサンフランシスコ平和条約では、日本が放棄する朝鮮領土として「済州島、巨文島、鬱陵島」が挙げられ、竹島は含まれませんでした。当時韓国政府は竹島を放棄領土に加えるよう米国に要請しましたが、米国は「竹島は朝鮮の一部として扱われたことはなく、日本領である」と明確に拒否しています。
その結果、平和条約上竹島は日本が放棄する領土に含まれず、日本領と確認されました。韓国側はこれに反発し、条約発効直前の1952年1月に李承晩大統領が一方的に李承晩ラインを宣言して竹島を韓国側水域に取り込みました。
以後、韓国は独島義勇守備隊や警備隊を上陸させて実効支配を開始し、1965年の日韓基本条約締結後も継続しています。日本政府はこの占拠を「国際法上の根拠なき不法占拠」であると抗議し、1954年以降国際司法裁判所への付託による解決を3度提案しましたが、韓国側はいずれも拒否しました。
韓国政府は「領土問題は存在しない」との立場で日本の提案に応じず、独島は自国固有領土と主張し続けています。
日韓の主張まとめ
要約すると、日本は「江戸期より認識・利用し1905年に領有を法的に確立、戦後も条約上日本領と確認された」と主張し、韓国は「512年以降自国の一部であり、日本の編入は不法、戦後に正当に領土を復帰しただけ」と主張しています。
両国の立場は真っ向から対立しており、竹島の帰属を巡る争いは解決されないまま現在まで続いています。韓国が実効支配する現状に日本は抗議を継続し、韓国は日本の抗議自体を退けている状態です。
尖閣諸島の歴史的背景と日中の主張根拠
古代~19世紀
尖閣諸島(中国名:釣魚島)は沖縄本島と台湾の間に位置する無人の島々です。古くは中国の文献にも航路上の目印として登場し、明朝時代には海上防衛の範囲に入っていたとの記述があります。中国側は「古来より釣魚島は中国(台湾)の付属島嶼であり、琉球(沖縄)の一部ではない」と歴史的主張を展開しています。
一方、日本側にも古地図や古記録に尖閣らしき島の認識が見られますが、近代以前に明確な支配は行われていません。両国とも古くから島の存在は知っていたものの、19世紀までは無人島で統治の及ばない状態でした。
日清戦争と日本による編入(1895年)
転機は日清戦争(1894-95年)前後に訪れました。日本政府は清国への配慮から慎重に調査を進めた末、戦争終結直前の1895年1月に閣議決定で無主地だった尖閣諸島を正式に日本領へ編入しました。
日本は魚釣島などに標杭を立てて領有を宣言し、沖縄県に編入したのです。日本側は「この編入は下関条約(1895年4月締結)による割譲とは無関係な国内措置であり、尖閣は最初から戦利品ではない」と主張しています。
これに対し中国側は、「日本は日清戦争のドサクサに釣魚島を盗み、不平等条約によって台湾と共に奪った」と見做しています。実際、下関条約では清が「台湾及びその附属諸島嶼」を日本に割譲すると定めており、中国は尖閣諸島も台湾の付属島として日本に奪われたと見做す歴史観です。
双方の認識はこの時点ですでに食い違っていることがお分かりでしょう。
第二次大戦後の処理
日本の降伏後、尖閣諸島は他の沖縄諸島と共に米軍の統治下に入りました。1951年のサンフランシスコ平和条約では尖閣について名指しの言及はなく、条約第3条により「南西諸島(沖縄を含む地域)」として包括的に米国の管理下に置かれました 。この間、中国政府(当時の中華民国政府)も尖閣諸島が米施政権下に入ったことに公式な異議を唱えていませんでした 。しかし、1968年に国連アジア極東経済委員会(ECAFE)の調査で尖閣周辺の大陸棚に豊富な石油・天然ガス埋蔵の可能性が報告されると 、情勢が変わります。翌1969年、この報告が公表されるや、中国(当時は文化大革命期の中華人民共和国)と台湾当局が突如として尖閣の領有権を主張し始めました 。それまで約20年間公式な領有主張が無かったのに対し、資源の可能性が注目されて以降、一転して中国・台湾は歴史的領土権を声高に唱えるようになったのです 。1971年12月には中国外交部が公式声明で「釣魚島は昔から中国領」「日本が日清戦争で不当に奪い、台湾の一部として盗んだのだから、当然戦後に中国へ返還されるべきだ」と宣言しました 。
1972年、沖縄返還に伴い尖閣諸島は米国から日本に施政権が返還されました 。日本政府は返還直後から「尖閣諸島は歴史的にも国際法上も日本固有の領土であり、領有権問題は存在しない」との公式立場を取っています 。これに対し中国と台湾は「あくまで自国の領土が一時的に米国に管理されていただけで、日本への返還は無効だ」と反発しています 。1970年代の日中国交正常化交渉の際、中国の周恩来首相や鄧小平副首相は「尖閣問題は後の世代に委ねる(棚上げする)」との姿勢を示し、日本側も当時深く踏み込まないまま国交正常化を実現しました 。しかし日本政府は後になって「棚上げ合意は存在しない」と否定しており、中国側の記憶する「棚上げの約束」は認識の齟齬として現在も論争の的です 。
近年の動き
2010年には尖閣近海で中国漁船と日本巡視船が衝突する事件が起き、日本の船長逮捕に中国が猛反発して外交問題化しました。2012年、日本政府が尖閣諸島を所有者から買い上げ国有化すると、中国各地で激しい反日デモが発生し、日本企業への破壊・略奪行為にまで発展しました。以降、中国公船(海警局の巡視船)や軍用機が尖閣周辺の接続水域・領海・空域に頻繁に進入し、日本もこれに対応しており、緊張状態が常態化しています 。日本は尖閣諸島について「現に有効支配しており領土問題は存在しない」との立場で、一切妥協せず領土を堅持する方針です 。中国側もまた公的な場で「断固として釣魚島の主権を守る」と強調し続けており、双方が譲らない状況です。
米国・国連・他国の見解
アメリカ合衆国
米国は両問題において公式には中立を保ちつつも、立場に違いがあります。竹島について、サンフランシスコ講和条約草案作成時に米国は明確に「竹島は日本領」と判断し韓国の要求を退けました。しかし韓国が実効支配して以降、米政府は「領有権紛争があるなら当事者間で平和的に解決すべき」という中立見解を示し、領有権の最終判断はしない態度を取っています 。日米安全保障条約も竹島には適用されないと米国務省高官が繰り返し述べており(日本の施政下にないため)、アメリカ軍が竹島のために動くことはありません 。
一方、尖閣諸島について米国は「日本の施政下にある領域」であることを認めており、日米安保条約第5条の適用範囲と明言しています 。つまり、中国が尖閣を武力攻撃すれば米国は日本と共同で防衛する義務を負う立場です 。ただし米国自身は尖閣の主権について公式見解を示さず「紛争は当事者が解決すべき問題」としています 。このように、米国は表向き中立ながら、実際には日本の統治を重視して尖閣防衛にコミットしている点で竹島とは異なります。
国連・欧州などその他
国際連合は特定の領有権判断は示していません。ただし国連海洋法条約(UNCLOS)に基づき領海・排他的経済水域(はいたてきけいざいすいいき, EEZ)など海洋権益が絡むため、平和的解決が望ましいとの立場です。欧州連合(EU)や英国なども公式には中立で、各国政府は「紛争当事国間の対話による解決」を促す声明を出すに留まっています。もっとも欧州メディアでは、フォークランド紛争(英アルゼンチン間)になぞらえて領土ナショナリズムの危険性を論じる論調も見られます。総じて、第三国・国際機関は係争当事者に自制と外交的解決を求めており、領有権の正否に踏み込むことは避けています。
島の軍事的・経済的・地政学的価値
竹島と尖閣諸島がこれほど争われる背景には、戦略上・経済上の価値が存在します。まず漁業資源ですが、竹島周辺海域はアワビやサザエ、魚類など古くから漁場として利用されてきました 。韓国による実効支配後、日本漁船は竹島近海での漁が制限され、日本側漁業者にとって損失となっています(1999年の日韓漁業協定では竹島周辺を暫定水域として共同利用する取り決めがありますが、実態は韓国側が優勢です)。尖閣諸島周辺の海域も好漁場で、特に台湾の漁民などが近海で操業してきた歴史があり、日本と台湾は漁業協定で一定の取り決めをしています。
さらに地下資源の存在も見逃せません。尖閣付近の東シナ海大陸棚は、1969年の国連報告で「世界有数の石油・ガス埋蔵の可能性がある」と指摘されました 。この報告を機に領有権争いが激化した経緯からも、地下資源への期待が火種であることは明らかです。仮に尖閣諸島が中国に渡れば、日本はその広大な海底油田・ガス田の権益を失う恐れがあります。同様に、竹島も周辺にメタンハイドレートなど海底資源の埋蔵が指摘されており、その領有は経済水域の拡大と資源確保に直結します。
軍事・地政学的価値
島そのものは小さく軍事基地には不向きですが、その所在は戦略的要地です。竹島は日本海の要衝にあり、日本本土と朝鮮半島の中間に位置するため、安全保障上無視できません。例えば冷戦期、米軍は竹島を爆撃訓練場に指定したこともありました 。もし竹島を失えば、日本は日本海での警戒線に穴が空き、韓国側は国土防衛の前線が後退するでしょう。尖閣諸島は沖縄と台湾の中間に位置し、中国軍の西太平洋進出や海上交通路の安全に関わります。日本にとって尖閣は南西諸島防衛ラインの最前線であり、中国にとっては第一列島線突破の鍵となりえます。したがって領有権を巡る攻防は、単なる岩礁の争いに留まらず、周辺の制海・制空権や海上輸送路の確保という地政学的利害と深く結びついているのです。
メディア・政府が繰り返し騒ぐ理由:国民感情と外交戦略
竹島・尖閣の問題は単なる資源や法律の争いではなく、各国の歴史認識や国民感情と密接に関係しています。そのため政府やメディアが繰り返し大きく報道し、政治問題化しやすいのです。
日本と韓国(竹島)
韓国にとって独島は、日本による植民地支配への抵抗と独立の象徴的存在です。韓国の学校教育や世論では「日本に奪われた領土を取り戻した誇り」と位置付けられ、独島は国民的な関心事です。日本が教科書や外交文書で竹島領有を主張するたびに、韓国世論は「侵略の美化」「反省の欠如」と受け止めて激しく反発します 。例えば毎年2月の「竹島の日」(島根県による制定)や日本政府高官の発言に対し、韓国メディアは連日大きく報じて抗議し、韓国政府も日本大使を呼んで抗議するのが常です。これには過去の植民地支配に対する怒りと、「二度と譲歩しない」という国民的な決意が背景にあります 。一方日本側では、竹島問題は北方領土問題などと並ぶ「戦後未解決の領土問題」と位置付けられています。日本政府にとって竹島を主張し続けることは、戦後処理で失った領土を正当に取り返す(あるいは守る)という意味合いを持ち、国としての名誉に関わる問題でもあります 。日本の保守層や一部世論は、韓国の実効支配を「不法占拠」とみなし政府に強硬対応を求める声もあります。政府としても主権を主張し続けないと国内世論の反発を招くため、譲歩はしづらいのです。こうした相互不信の中で、両国政府・メディアは相手国の動きに敏感に反応し、ナショナリズムを煽る報道が繰り返される傾向があります。
日本と中国(尖閣)
尖閣諸島問題もまたナショナル・プライドが絡んでいます。中国では釣魚島問題は反日感情と結びつきやすく、2012年の尖閣国有化時には大規模な反日デモや日本企業への攻撃が起きたように、その爆発力は大きいです 。中国政府は国内世論を抑える一方で、愛国心を統治の正当性に利用する面があり、釣魚島を巡る強硬姿勢は国内向けアピールにもなっています。また、中国にとって尖閣を日本に譲れば清朝末期の屈辱(不平等条約による割譲)を認めることになり、歴史問題とも結びつきます。日本側でも尖閣は中国の海洋進出の象徴として警戒感が強く、メディアは中国公船の領海侵入回数や軍事動向を連日報道しています。特に2010年や2012年の事件以降、日本国内でも世論が尖閣防衛に傾き、政治家が強硬発言を競う状況も見られました。日本政府も「断固たる態度」を示すことで国民の不安や不満に応えようとし、沖縄県石垣市議会が尖閣諸島の字名変更を決議するなど国内アピールも行っています。メディアが過熱報道する背景には視聴者の関心が高いこともありますが、その関心自体、政府や教育を通じたナショナリズム醸成の結果とも言えるでしょう。両国政府は相手に弱腰と見られないよう強い言葉で主権を主張し、メディアも愛国的な論調で報じるため、対立がエスカレートしやすいのです。
竹島と尖閣諸島の比較:共通点と相違点
最後に、竹島問題と尖閣諸島問題の類似点と相違点を整理しましょう。
共通点
両者とも第二次大戦後の領土処理の不明確さや新たな資源価値の発見によって争いが顕在化しました。いずれも歴史的主張(古文書・古地図の解釈や過去の条約経緯)を巡って当事国の認識が対立しており、国家の威信をかけた象徴的な問題となっています。領土とそれに伴う広大なEEZや資源権益が懸かっている点、そしてナショナリズムによって国内政治に影響する点も共通しています。実際、韓国は独島、中国は釣魚島を「核心的利益」と位置付け絶対譲れない姿勢で、日本も自国の領土・主権を守る立場から一歩も引かず、相互に妥協が困難な構造です。また、どちらのケースも平和的解決のための国際司法の場(ICJなど)には持ち込まれておらず、外交交渉も停滞しています。要するに、竹島と尖閣はいずれも「歴史問題」と「現代の国益問題」が絡み合った複雑な領土紛争だという点で似通っているのです。
相違点
一方で両者には明確な違いも存在します。第一に現在の支配状況が逆である点です。竹島は韓国が実効支配し、日本が返還を要求する形ですが、尖閣諸島は日本が実効支配し、中国が返還(または奪回)を要求する構図です 。そのため、日本政府の態度も竹島では「紛争が存在するのでICJで解決を」と求め、中国との尖閣では「領土問題は存在しない」として議題化自体を拒否するという、正反対の戦略を取っています 。第二に歴史的背景の違いがあります。竹島は日本と朝鮮半島との関係(江戸時代の交流や日本の韓国併合)に由来し、独島は韓国で日本植民地支配の象徴的遺産とみなされています。一方、尖閣は日清戦争・台湾割譲といった日本と中国の帝国主義時代の遺産であり、冷戦期の米国統治も絡むなど国際政治色が強いです。第三に関与アクターの違いとして、尖閣問題には中国と台湾(中華民国)という二つの中国当局が同じ主張をしている点が挙げられます 。台湾当局は日本に対し漁業権など実利交渉も行いますが、中国本土と歩調を合わせ「領土主張」は譲っていません。竹島問題では北朝鮮も韓国を支持する声明こそありますが、実際の当事者は日韓両国のみです 。第四に国際関与として、尖閣は米国の安保適用対象であるのに対し、竹島は日米安保の適用外である点も大きな違いです 。このため抑止力の観点で、中国は武力行使すれば米軍介入リスクがありますが、韓国と日本の竹島紛争は日韓二国間の問題とみなされます。
まとめると, 竹島と尖閣諸島の争いは一見似た「島の領土紛争」ですが、歴史的文脈や現在の状況には上述のような違いがあります。それでも共に東アジアの地域秩序や隣国同士の関係に深い影を落とす重大な問題であることに変わりはありません。
結びに
以上、竹島および尖閣諸島の領有権問題について歴史的経緯と各国の主張・国際的見解を時系列で説明してきました。みなさんがお分かりのように、この問題は単なる法的争いではなく、過去の記憶や国民の誇り、資源や安全保障上の利益が複雑に絡み合っています。日本、韓国、中国それぞれが歴史資料や条約解釈を根拠に正当性を主張し、どれも一歩も引かないため解決は容易ではありません。国際社会は対話による平和的解決を期待していますが、当事国の国内事情がそれを難しくしている側面もあります。 争点が感情的に語られるほど妥協は困難となり、メディア報道や政治的アピールがさらに世論を硬化させる悪循環も見られます。それでも将来世代のためには理性的な話し合いと問題の「棚上げ」や共同利用といった知恵も必要かもしれません。領土問題は国家間の信頼醸成が鍵です。本日の講義が、皆さんにこの問題の背景を理解する一助となり、偏りなく歴史を捉える契機になれば幸いです。
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